blackmii’s blog

気まぐれな22歳のブログです。ほとんどノンフィクションでお送りいたします。

怒り

私が最も嫌いな感情がこの怒りだ

無駄に体力使うし精神すり減るし何も生まれることがない

 

でも、私はそんな怒りに気づかされたのだった

 

家庭の事情で私はみんなが母というところを父と言うのだ

それに違和感を持たれるのは構わない

でも、それを否定するような

父を否定するようなことを言うやつは許せなかった

 

父を否定していいのは

私と兄だけだ

何も知らない他人にとやかく言われる筋合いはない

 

子どもに心配されるくらいしか稼げない親にはなりたくない

 

そう言われた

私の父を心配する気持ちを話したらそう言われたんだ

一瞬で、カッとなったのがわかった

すぐに否定の言葉が出た

 

私は何も心配してくれない子どもは絶対いらないわ

 

私が父を心配する気持ち

それにはどんな想いがあるのかも知らずに

そんなこと言うやつ、絶対に許さない

知らなかったで済むと思うか?

知らなければなんでも許されるのか?

知らないなら知らないなりに配慮すべきことがたくさんあるだろう

それを全てやってもなお、人の想いを知らずに傷つけたのなら

人間やり直した方がいい

 

ある日、父は当時3歳の私と4歳の兄の母親の役目もしなければいけなくなったのだ

自業自得と言われればそれまでだけど

誰にだって失敗はある

それがただ、人の人生に関わることだっただけ

20年前、父は32歳

世間で言ったらまだ若い

そんな父がいきなり2人の幼い子どもの父親と母親の役割をしなければいけなくなったんだ

どれだけ大変だったか

私には想像つかない

失敗だってたくさんしたはず

後悔だってたくさんあったはず

それでも親でいることを辞めないでくれた

だから私は今、生きていられる

仕事のこと考える暇なんてなかっただろう

どんなにきつい仕事でもやるしかなかった

小さな子ども2人もいたら

転職活動なんてする暇ないし、考える暇なんてなかった

それなのに毎日ご飯は必ず作ってくれていた

 

そんな父が51歳になって

私と兄が少しずつ自立し始めて考える時間もできて

ようやく、資格をとってタクシーの運転手になった

収入も上がった

でも、不安定だった

 

父には時間がなかった

勉強する時間、考える時間、遊ぶ時間、夢を見る時間、寝る時間すらなかった

全て私たちのために使っていたのだから

だから私は父の仕事に口出すことはできないし、否定することだってしない

私たちが父の思考を奪ってしまっていたのだから

 

だから、だから私は少しでも父の役に立ちたくて

父に楽して欲しくて、今やってることを頑張りたいってそう思って話したんだ

父の失った時間を私が埋めてあげたいって

その近道は、私がお父さんが働いて稼ぐ分を稼ぐこと。つまりお金だった

そこまでの想いがあって言った言葉にあなたは

 

そんな父親になりたくないと言った

 

私はそんなお前といたくない。