blackmii’s blog

気まぐれな22歳のブログです。ほとんどノンフィクションでお送りいたします。

脳内会議

多数派が強いこの世界で

多数決が取れない場所

誰にも見られていない自由な場所

何をしたっていい何を言ったっていい

邪魔者はここにはいない

 

今日もまた定例会議が始まるみたいだ

みんなに好かれたかった

頼りになる人になりたかった

だからちょっと背伸びして頑張った

そんな時に限って邪魔が入る

あぁ、もう嫌、辞めたい

でもここで辞めたら、おとなげないよな

頑張らないと大人にならないと

はぁ、もっと自分らしく生きたいな。。

やっぱり私にはだめだ

もう辞めておこう

 

結論、なれないことはするもんじゃない

 

背伸びして怪我するくらいならもういっそ体育座りでもしておこう

すみっこでひっそり

そんな私に囁く

つまずいたのは進んでる証拠だよ

大人になってる証拠

ほら、今しゃがんでるのもこれから伸びるってことだよ!

バネはたくさん縮んだほうが高く飛ぶっていうじゃん?

 

はぁ、背伸びをしたら転んで

何もしなければ退化して

休みたくて座ったら高く飛べって

うるさいな

もう傷だらけなんだよ

見えないかもしれないけど傷ついてるの

目で見えないものはノーカウントですか

何も知らないくせに土足で踏み込んでこないで

勝手なこと言うだけ言ってどうせすぐいなくなるんだから

私の人生見届けるわけじゃないんだから

何も言わないでよ。

そんな脳内会議、出てきちゃだめだよ

 

涙がこぼれないように上を向いて歩こうと誰かが言った

上を向いていたら足元が見えなくて躓いた

痛くて涙が出た

もう、何を信じたらいいのかわかんなくってそのまま泣くしかなかった

前向きになりたかった

強くなりたかった

過去の傷なんて気にならないくらい自信を持ちたかったそれだけなのに

前を向けば向くほど過去が迫ってきて

癒えきっていない傷に傷を重ねた

もう治らない、治療法もない

この痛みに耐えられないなら

終わらせるしかないんだよな

 

君は考えすぎだよって言われた

考えないようにするにはどうしたらいいのか考えた

また考えすぎてしまったと落ち込んだ

頑張りすぎだから少し肩の力を抜いた方がいいよと言われた

頑張って肩の力を抜いた

考えないために考えて

頑張らないように頑張った

報われるまで努力したらいいってわかってはいるけど

こんなにも辛いんだ

辛いのは今だけ今頑張ればって思うけど

もう少し笑って生きてはいけないんだろうか

 

見えない傷が見えるようになったあの日

その傷は強くなった証にしたくて

もっと胸を張って生きていたくて

頑張るって、泣きながら必死で笑った

 

 

本音と建前

いつからだろうか

相手が本音を話していないとわかるようになったのは

 

建前に建前を重ねてくるから

最終的にこの人は何が言いたいのか

ストレートに聞きたくなる時がある

 

で、本音はなんですか?

 

相手が建前で話してくるから

建前でしか話さないから私は全力で心を閉ざした

NOならNOと言えばいい

自分がどう思われるかばかりを気にして話すな

相手が何を考えてるのか気にしながら話すな

自分の伝えたいことを伝えればいいじゃないか

それで違った捉え方をされたらそれまでだ

あなたの伝え方が悪い、もしくは相手とは合わなかった

それだけのこと

 

あなたが本音で話さなければ

私も本音で話せないし、話す必要もなくなる

遠回しが1番めんどうで気持ちが悪い

そんな関係はどこでもいらない

 

まぁ、大人はみんなそうか

 

23歳にもなって大人になりきれない自分を飼っている私は

そんな自分が出てこないように大人なフリをする

愛想笑い、相槌、愛想笑い

これが大人か

 

そんな帰り道

 

大人になってそんなことしてたら恥ずかしいよ?

そんなことを児童に言ったことを思い出した

あの子たちはこんな大人を見て大人になりたいと思えるのだろうか

でも、私は大人はいいものだと嘘の夢を与えられほどの大人ではなかった

 

人生の目標をもたないで生きることは当たり前なのだろうか

やりたいことが、夢が職業なのは当たり前のことなんだろうか

 

もっと夢を与えられる人になりたい

 

なんでだろう

なんでこんなに自分のために生きたいと思えないんだろう

 

これは誰かにどう思われたいとかそういうのばかりを考える大人の建前なんかじゃなくて

 

大人になりきれない私の本音だった

 

 

 

人気物

どこへいくにも、誰かと出かけるにもいつも一緒

忘れたら絶対に取りに帰るし

無くしたら必死になって探す

少しでも時間があれば使って

時間がなくたってそのために時間を作るだろう

きっと家族より恋人よりも一緒にいて見つめ合って話して笑っている

誰からも愛される人気物、スマホ

 

それは時に、夢を叶えてくれたり

人と人を繋げたりしてくれる

そしてあなたを決して孤独にはしない

自己肯定感を高めてくれる時だってある

傷つくこともあるけれど

その傷を癒すことだってしてくれる

 

敵わない

機械に負けた

AIに人間が負ける時代が来るとはよく言うが

もう来ている

 

誰とどこへ行っても机の上にはスマホがあって

話してたって通知が来たらそっちに持って行かれて

やっと会えた限りある時間、その時間さえも

いつもいつでも一緒にいることができるそいつに奪われていく

 

声よりも文字が増え

笑顔も取られた

争いたくてもなす術がなくて

こうしてまた向き合う

 

誰かといる時くらいはその時間を大切にしたい

スマホは時計代わりになんてならない

時間以外のたくさんの情報を与えられ、その場の意識を取られる

 

カメラ、時計、電話、財布、SNS全てが一つになって

いつでもどこでも使えるようになって

なんて便利な世の中だ

現代に生まれてよかった

 

そうは思えないんだ

使いたい物じゃないものがある

余計なものがたくさんあるから

今、この大事な時間を無駄にしてしまう

会話、勉強、読書

もっと使うべき時間があるのに

その人気物は私にとっては邪魔物だ

なのに手放せずに

こうして今もここにいるから

怖い。

 

こんな物がなければ

繋がっていない人たちもたくさんいて

今の私だってなかったのだけれど

こんな物がなければ

もっと人との繋がりを大切にする人が増えていたと思うんだ

どうしようもないことを考えている。

人気物に勝てない私

 

そんな私でも唯一その劣等感から逃れられる時がある

それは車の中

私じゃない誰かが運転している時だ

運転は少なからず日常の中で私が1番人気物に勝てる時だと思う

私は運転手の目を奪わず、手を奪わずに会話ができる

運転手と一緒に道や行き先を考えることができる

私は優秀だ

だから私は1人の時以外はあまり運転しない

私が運転したら人気物に負ける

 

そんなしょうもない戦いをしてることに気付いたのはつい最近だった

 

人との時間を大切にしよう

 

こんなしょうもない戦いをするのは

私だけでいい

 

 

 

 

 

 

大丈夫

大丈夫?と聞かれた時の答えはきっと

大丈夫!だ

 

私はつくづくそう思った

 

昨日、バスケで人とぶつかって床に頭を打った

痛くて頭が重くてしんどかった

すぐにみんな駆けつけてくれて、大丈夫?どこぶつけた?と聞いてくれた

私は大丈夫だよって頷きたかったし、聞かれたことにもすぐに答えたかった

なんならすぐに起き上がって大丈夫、大丈夫って

その場を後にしたかった

 

でも、後頭部を打っていたからなかなかそれができなくて

頷くにも頭が重すぎて

あぁ、心配かけちゃう

早く早く起きなきゃって

それでもできなかった

頭は痛いし重いけど、心配かけたくない気持ちが大きくて

心配かけてしまったことに申し訳なくて

元気に見せなきゃって

大丈夫?と聞かれたら大丈夫、大丈夫と答えていた

 

私にとってはこの頭の痛みより

みんなに心配や迷惑をかけることが耐えられなかったから

 

少し落ち着いて座れるようになった後もみんな来てくれた

 

大丈夫?って

 

聞かれるたびに心配させないように返そうと思うけど

話すのが少し辛くて、頷くのはもっと辛くて

気を遣って話しかけてくれる人がいたけど

正直1人にして欲しかった

 

痛いし、辛いし、頭がぼーっとする

それなのに人がいると辛い顔なんてできなくて

心配かけないためにどうしたらいいか考えて、そのために無理するしかなくて

辛かった

 

もういい、もう、放っておいてくれ。

本音は言えなくて

また下手な笑顔をして大丈夫だよ、ありがとうって

 

よかった、こんな思いするのが私でよかった

そんなことを涙ながらに思った

 

きっと私は、大丈夫?って人に言えない

その答えはわかっていて

その答えをした人の心の中すら勘繰ってしまうから

 

たくさん頭を覆って、傷つこう

そうではないと人の気持ちが、本当の人の気持ちがわからないのだから

人はそれを考えすぎと呼ぶかもしれない

でも、何も考えずに誰かを無意識に傷つけるよりマシだから

痛みも辛さも全て勉強にして

人に優しくなろう

それは誰かのためなんてそんな偽善じゃなくて

 

自分が好きな自分でいられるため。

 

怒り

私が最も嫌いな感情がこの怒りだ

無駄に体力使うし精神すり減るし何も生まれることがない

 

でも、私はそんな怒りに気づかされたのだった

 

家庭の事情で私はみんなが母というところを父と言うのだ

それに違和感を持たれるのは構わない

でも、それを否定するような

父を否定するようなことを言うやつは許せなかった

 

父を否定していいのは

私と兄だけだ

何も知らない他人にとやかく言われる筋合いはない

 

子どもに心配されるくらいしか稼げない親にはなりたくない

 

そう言われた

私の父を心配する気持ちを話したらそう言われたんだ

一瞬で、カッとなったのがわかった

すぐに否定の言葉が出た

 

私は何も心配してくれない子どもは絶対いらないわ

 

私が父を心配する気持ち

それにはどんな想いがあるのかも知らずに

そんなこと言うやつ、絶対に許さない

知らなかったで済むと思うか?

知らなければなんでも許されるのか?

知らないなら知らないなりに配慮すべきことがたくさんあるだろう

それを全てやってもなお、人の想いを知らずに傷つけたのなら

人間やり直した方がいい

 

ある日、父は当時3歳の私と4歳の兄の母親の役目もしなければいけなくなったのだ

自業自得と言われればそれまでだけど

誰にだって失敗はある

それがただ、人の人生に関わることだっただけ

20年前、父は32歳

世間で言ったらまだ若い

そんな父がいきなり2人の幼い子どもの父親と母親の役割をしなければいけなくなったんだ

どれだけ大変だったか

私には想像つかない

失敗だってたくさんしたはず

後悔だってたくさんあったはず

それでも親でいることを辞めないでくれた

だから私は今、生きていられる

仕事のこと考える暇なんてなかっただろう

どんなにきつい仕事でもやるしかなかった

小さな子ども2人もいたら

転職活動なんてする暇ないし、考える暇なんてなかった

それなのに毎日ご飯は必ず作ってくれていた

 

そんな父が51歳になって

私と兄が少しずつ自立し始めて考える時間もできて

ようやく、資格をとってタクシーの運転手になった

収入も上がった

でも、不安定だった

 

父には時間がなかった

勉強する時間、考える時間、遊ぶ時間、夢を見る時間、寝る時間すらなかった

全て私たちのために使っていたのだから

だから私は父の仕事に口出すことはできないし、否定することだってしない

私たちが父の思考を奪ってしまっていたのだから

 

だから、だから私は少しでも父の役に立ちたくて

父に楽して欲しくて、今やってることを頑張りたいってそう思って話したんだ

父の失った時間を私が埋めてあげたいって

その近道は、私がお父さんが働いて稼ぐ分を稼ぐこと。つまりお金だった

そこまでの想いがあって言った言葉にあなたは

 

そんな父親になりたくないと言った

 

私はそんなお前といたくない。

きもち

どこからが浮気だろう

 

そんなこと誰でも一度は思ったことがあるのではないだろうか

そう、私も例外なく考えたことがある

 

私の意見としては

どこからが浮気か知りたくなったら浮気だと思う

とても抽象的に感じるかもしれないが

そもそも相手のことが好きでその人しか見えない状態の人はどこからが浮気かなんて気にする必要はないのではないか

というのが私の考え

 

きっとこれしたら相手傷つくな、誤解させたくないな、心配させたくないな

そんな気持ちがあれば境界線なんて知る必要もない

 

それでもどこから浮気かと聞かれれば

強いていうなら

心が動いた時点でそれは浮気だ

この人ともっと一緒にいたいなと思った時

どこまでなら一緒にしていいんだろうなんて考えてしまう

その時点でアウトなのだ

相手を大切にしたい気持ちがあるのなら

浮ついた気持ちを隠して

どこまで許されるかなんて考えずに

その人と会うのを辞めるべきだ

 

相手には心なんてわからないのだから責められる必要はない

だから全てよしってわけじゃないんだよ

 

問題は相手に嘘つくことじゃなくて

自分自身に嘘をつくこと

一生付きまとってくる嘘に耐えることはできるのだろうか

 

 

 

 

 

間違い

最近私はなぜか最近宗教ってなんだろうと考えている

 

宗教、怖い

そんなイメージだろうか

多分そう

 

でも、本当はそんなことなくてそれを信じてる人にしか見えていない世界がたくさんあるのではないかと思う

それによって人生が豊かになったり、いろんなことがうまくいったり

そんなことが私の知らない世界ではたくさんある気がするのだ

 

宗教でなくても何かを自主的に学んだでいたらそれもそれで世界が変わることを私は知ってる

 

きっとある人はそれも宗教だとかいうのだろう

 

みんななんでも怖いんだ

自分の知らない世界が

 

でも、きっともっと怖いのは世の中を学んでいくうちにたくさんのことを知って

周りは何も知らないし知ろうともしていないということ

 

自分の生きている国のこと

食べているもの、使っているもの

自分が何にお金を使っているかすら

知らなければ自分だけでなく自分の大切な人も家族も苦労するというのに

そのことすら知らない

そんな人が大半で

一旦その輪から抜け出すと、宗教だと線引きをしてくる

 

きっと昔は私もそうだった

 

別に人のすることを否定する気はないし

自分の考えを押し付ける気はない

ただ、あなたが私を宗教というなら

そんなあなたも私から見たらまた宗教なんだ

当たり前、大衆という名の

頭が悪く周りに合わせてテレビやメディアを信じ、体調が悪ければ病院に行くしか頭のない宗教

 

ひとたびその宗教から抜け出してみると

私はそちらの方が怖いと感じる

 

あぁ、この感覚か

 

どちらが正しいとは言わないけれど

何も知らずに知ろうとせずに

毎日を過ごしているような奴らに否定される筋合いはない

 

 

私は色々なことを知っていくうちにいつから変わってしまったんだろうと考えるようになった

 

昔、そう江戸よりもっと昔

そんな昔の人たちは自給自足をしていたのだろう

自分の衣食住は自分で作っていた

試行錯誤して何から作ろうかまで考えていたから

そもそも自分がどんなものを食べてどんな成分のものを身につけて、使っているか

わからないなんてことはなかった

体調不良になっても自分の使っているものの成分まで全てわかるから原因不明なんて感染症くらいでその元だって見当はついていたはずだ

知識不足からくるものも考え勉強する人たちがいて、その人たちの声の方が大きかったはず

 

そして文明が進化してたくさんの知識がついた

どこまででよかったのかなんて私にはわからないけれど

間違いなく現代は、やりすぎだ

安くて便利だけを求め、楽ばかりを求めた

 

その結果、ガンや発達障害、原因不明の体調不良、自殺者が増えた

そこまでして楽がしたいのか

毎日薬飲んで仕事行ってそれを当たり前にして

私生活で楽ばかり求める

自分の体を作るもの、食事で手軽さを求める

 

楽するところは間違っている

楽するのは仕事でしょう

出口のないところは程々にやらないと

どうして仕事で病んでるの、仕事なんて所詮お金をもらうためだけにやってるんだから

自分のやりたいこと仕事にしたいとか言ってないで早く仕事終わらせて

やりたいことできるように勉強しなよ

仕事してたって何も変わんないよ

 

と、声を大にして言えないのが現代

 

生きる世界を間違えたなって、ふと思う

でもそんなこと言ったって思ったって死にたくなるだけだから

 

私は知識をつけて行動を変える

 

私が信じた、あんたらのいう宗教みせてやるよ