病弱な自分が好き
か弱くて誰かに守ってもらわなきゃいけないような、そんな自分
少なくともそう思ったことがある
偏頭痛で辛かった時
優しくしてもらえて、心配してもらえて
いつだって人がそばにいた
本当に辛かったけど
人の優しさに触れられるいい機会だった
1人じゃないって、そう思えた
少なくとも誰しもそんな感情が湧くと思う
誰かに心配され、誰かに優しくされて気遣ってもらえる
そんなことを快楽に思うことはないのだろうか
そうして一般常識化することで自分を正そうとしている自分もまた事実だ
親の愛情が足りなかった
そういえば誰かが同情してくれる
きっとしてくれる
そんなずるい私を嫌うのは私だった
全てを知っていて
ずる賢さも知っていて嫌気がさした
全て知っていて知らないふりをする
可愛そうな子のふりをする
全力で無理をすれば歩けた捻挫だって痛みに負けた
無理をすれば歩ける偏頭痛だって人を頼った
そんなの逃げだって自分に責められて
口癖は大丈夫ですになった
大丈夫の意味を忘れた
だから私は人の大丈夫を信じられない
私の大丈夫は
しんどいけど、泣きたいけどまだ死なないんで
人に頼るほどじゃないんで、自分でなんとか泣きながら自分を傷つけながらそれでもなんとかまだ生きていられるんで
死んで全てを終わらせるよりまだいいんで大丈夫ですだった。
だから私は人の言う大丈夫を受け入れられなかった
考えすぎなのはわかっていた
でも、何も考えず人を傷つけてしまうより
何もできないよりずっといいと思っていた